14-05-17

今日は地元関係のお仕事、沼掃除。
昔々まだこの辺が農地ばかりだった頃、水源として湿地を堰き止め池にしたもので、村の共有財産として使用されていた沼です。
それが戦後もずっと「村」で所有していて、「村」ではなくなった今でも「元村人」で所有管理をしていて、市や国に管理を預けてないのです。
なので基本的に管理も地域の「権利」を持った、自分達でやる必要がある、と。
うちは祖父の代まで農家だったので、沼の「権利」を持った家の内の1つなのです。

「村内」の話の時には必ず書いてる気がするけれど、面倒は面倒だけれど面白いんだよね。
電車に乗って30分で都心に出られ、周囲にはマンションも多いのに、こんな「田舎」っぽい文化が残っているって。

なので、面倒は面倒なんだけれど、こういう作業に参加して話を聞くのは嫌いじゃない。
特に、ここは「地元」で、育った場所、そこら中駆け回って遊んだ場所だから、子供の頃「何だろうこれ」と思っていた事・物の由来なんかが分かる事も多い。
例えば「この沼実は人工的なものなんだ」って知ったのは、この作業に参加してから。
まぁ知ったからどうだ、って話なんだけれど、どんな事でも発見は面白いイベントだよ。

そんな訳で朝一から作業をしてお昼頃帰宅。
休日朝一から出掛けるという事で、嫁も子供を連れて近くのイオンへ遊びに行ってる。
カップ麺をお昼に食べて、のんびり過ごす。

こういった「村内の行事」も「発見」がなくなったら面白くなくなるのかなぁ、とふと思ったが、ちょっと違うなーと思い直した。
まず、能動的に動いている限り、常に発見はあるはずだから。
能動的に動くには、動くための情報が必要で、動くための情報は常に「知ろうとして初めて知る事」だから。

次に、例え「地域」に関する発見がなくなっても、地域の活動は一人で行う訳じゃないから。
だから自分が能動的に動こうとする際に、どうしても「他の人は何をどう考えるのか」を知る必要が出てくる。
誰が何を考えて、どうしようとしているのか。
何故そう考えたのか、その経緯。
そういった事を知る事、考察する事も面白い。

ああ、そうか面白いのは人間なのか。
何か変な言い方になるけれど。

まあでも1つ目で上げてる様に、能動的に動いている限りは一人でも発見はある。
受動的になると動く為の情報を「発見」するというよりも「与えられてる」感じがしてしまう。
そうすると「やらされてる」様に感じるだけで、面白味が減るんだよね。

忙しくなったり歳を取ると、段々と「受動的」になっていってしまうから気をつけないとなぁ。
せっかく面白いイベントを自給自足できるのだから。

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