空想と現実。

究極のUIって何だ、って考えると、行き着くところは「頭で考えただけで動く」某かだ。
念じればご飯が炊ける、念じれば車が動く。
楽、超楽ちん。

そして念じれば絵が描ける。
イメージすれば物が出来上がる。
凄い、ジョン・レノンも吃驚だ。

実際、それに近いものが求められている。
思考の速度を阻害せず表現出来るツール。
パソコンとアプリケーションがどんどん高度になって、個人でも今までに比べて少ない学習コストで専門家の様な表現が可能になりつつあるし、それが求められている。
立体物ですら3Dプリンタで手早く出力可能で、プロダクトのモックなんかもう、驚くべき速さですぐに出来ちゃう。

だから行く着く先は、「空想が現実に」なのかも知れない。

そして、それはとても恐ろしい事の様に思えてならない。

基本的に人は皆、衣食住が足りていれば、自己主張、自己表現をしたい生き物だと思うんだ。
自分を某かの形で表に出したい我の塊が人間だと思うんだ。
人とのコミュニケーションかも知れないし、所謂創作活動かも知れないけれど、某かの形で自分を表現したい、自分を確立したい。

だからきっとそういうツールが出たら触れるよね。
思い描けば絵が描けるツールを手軽に触れるとしたら、取り敢えず試してみるだろう?
誰だってそーする。俺もそーする。

まぁでも頭の中で思い描くって結構な訓練が必要な事だと思うんだよね。
大体は曖昧で混沌としているものだと思うんだ、頭の中って。
文章や絵、音楽、いろんな方法はあるけれど、頭の中のものと摺り合わせしつつ少しずつ表に出して、そして固めていく事が多いと思うんだよね。
だから、誰でも簡単にイメージを具現化出来るとしても、そもそもそのイメージを思い描く力が無ければ、出てくるものは恐ろしいものになってしまう様な気がするんだよなぁ。

1つはクオリティの低いものが世の中に溢れる、というもの。
まぁでもそれは別にたいした事じゃない。
それよりも今まで見えなかった “名状しがたいもの” が具現化しそうなのが怖い。

「人は衣食住が足りていれば自己主張、自己表現をしたい生き物だと思っている」という事を書いたけれど。
この自己表現自己主張、我の部分は意識的に制御しているからこそ “良い” ものが出てくるんだと思うんだよね。
もちろん敢えて制御せずぶつける、という表現もあると思うけれど。
でもそれは他人も抉るし自分も抉る諸刃の刃である事の方が多い気がする。
何にしろ、ある程度の訓練、習熟が必要な事だと思うんですね。
コミュニティの中での自分の位置取り、自己主張自己表現の仕方も、幼稚園小学校中学校…みたいに段階を経て学んでいくじゃないですか。
そんな感じ。

なので、何の考えもなしに気楽に触れたイメージ具現化ツールから、とんでもない狂気が生まれそう。
そして意図せず他人や自分をがっつり抉っちゃう。
それが物凄く怖いなーと、ぼんやり。

まぁだからそういう類のツールにはフィルターがあって良いと思う。
例えば今現在であれば、ツールの習熟というフィルターがあって。
誰でもPhotoshopやAfterEffectsを高度に使いこなせる訳じゃない。
油絵も水彩画もギターもピアノもビデオカメラも、道具の使い方を学ばないとまともに扱えたもんじゃない。

という書き方をすると、何か選民意識の様に捉えられそうな気がするけれど、そうじゃない。
「何か作って遊ぶよ!」という熱意の話。
その熱意があれば、きっと我の制御も出来るし、それに習熟の壁も乗り越えられる。
そんな風に思うのです。

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