厨二病の記憶。

先日、寝入り端を起こされてしまい寝付けなくなり、布団の中で取り留めなくいろんな事を連想するままに思い返していたら、中2の一学期、クラス替え直後の事を思い出した。

新学期のお約束として委員決めがあって、そして最初に学級委員を決め以後の進行をやらせる、というのは良くあるパターンだと思う。
んだけど、まぁ例の如く学級委員なんて誰もやりたがらない訳だ。
で、俺はそれまでの人生でそういう時に、悩みつつも立候補する事が多かった。
それが決まらないと先に進まず、誰かがやらない限り決まらない。
誰かがやらない限り先に進まないから。

でもその時は、そうやって「自己犠牲の精神」みたいにやりたくもないのにやっている自分を変えたくて立候補しなかった。
「俺は図書委員をやるんだ、やりたいんだ」って思い込んで口を結んでいた。
「誰かやってくれないかなぁ?」という先生の声が何分かおきにぽつりと響くままに、時間がじりじりと流れた。

そして最終的に、仕方がないから推薦で、という事になった。
それでも誰も手を挙げ推薦する様な事はなく、先生が「○○君、誰か推薦してくれないかなぁ」と声を掛ける事になった。
そしてその○○君は「柚吉君が良いと思います」と。
俺の名前が挙がった。
後はもう先生に指名を促されたら「○○君と同じです」と言えば、個々に “責任” も “心の負担” もない。
事実その後指名された数人は、皆俺の名前を挙げた。

あの時の何とも言えない絶望感。
今までの俺であれば、そこで諦めて何も言わず引き受けていた。
でもこの時は、ただただ、そのまま仕方なく引き受けてしまう自分でいたくなかった。
だから口をぎゅっと結んだ。

程なくして先生が言った。
「皆も推薦してくれているし、柚吉君やってくれないかなぁ?」
耳の奥がじーんと痺れ、瞳の奥がじわっと熱くなって格好悪いなぁ、と思った。
こんな格好悪く惨めな気持ちになるなら、引き受けた方が良いのかなぁ。
でも、そうやって何も言わず、今までずっと引き受けてしまっていたんだよなぁ。

だから「俺は図書委員をやりたいので、やりたくないです」と告げた。
今までの俺を知っているでしょう、切実なんです本当に。

でも「そっかー、他に誰かいないかなぁ?」とはならなかった。
「その気持ちは分かるけれど、やってくれないかなぁ?」と押された。
その後何て言ったかは真面目によく覚えてない。
しかしそれも「他にやってくれそうな人いないし」の様な簡素な言葉で押し返された。

その瞬間、「あ、駄目だこれ、皆この場を逃れたいだけで俺の気持ちは関係ないんだ」と感じた。
先生も皆と一緒なんだな、きっとこの場をやり過ごす為に、俺の希望を聞き流して押し付けたいんだ、と思った。
そして、「俺 (私) やりますよ」みたいに助けてくれる人もいないんだな。

そう気付いた瞬間、泣き出しそうな深刻な顔から全く正反対の笑顔で「分かりました、引き受けます」と言っていた。
自分でもその豹変ぶりに驚いたけれど、先生も何か不味いと思ったんだろうね、「えっ、本当にいいの?」「図書委員やりたいのなら別の人にお願いするのも…」みたいな事を言い出した。
今更何を言っているんだろう、とただ無心に可笑しかったので、笑いながら「いやいいですよ、やりますよ」と言い、俺は次の委員を決める為に教壇へと向かった。

その時の先生と、クラスの皆のほっとしたような、同時に罰の悪そうな顔は忘れない。
いや、でもその顔は、後から作られた記憶かも知れない。
俺がそう思っただけなのかもしれない。

今にして思えば、もっとしっかり自分の考えを言えば良かったんだよな、と思う出来事。
いつもこういう時に引き受けてしまう自分が嫌なので、今回は何としてでも引き受けたくないんです、って。
でも当時の俺は言えなかったんだよな。
まぁ今の俺も言えるのか分からない。
だって誰かがやらないと先に進まないし、その誰かが現れてくれないんだもの。

そういう時、その「誰か」にならない事に罪悪感を覚える限りは「誰か」になり続けてしまうし、そしてそれにつけ込まれる事も多いんだろうなぁ。
人と「自分らしさってなんだ!?」という青臭い内容について話す機会があり、そこから思い出した出来事。
これは自分らしさなのか。
大切にすべきものなのか。
背負っていける重さなのか。

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1件の返信

  1. 彼者誰 彼者誰 より:

    アニメのOPで自分らしさってなんだ?って問うてるものがありました!
    https://www.youtube.com/watch?v=zBs3MAa0-fc

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