2014-07-03

しばらく、小説を書くのが手に付かない時間が続いていた
こういう時は、書かないでそれ以外のことに没頭した方が、なんかうまくいく
が、単純に怠けて時間を浪費するのも不味いので、教科書を読む
チャンドラーだ

あれは、高校生の時だったと思う
ブレザーを着ていたから、夏以外の季節のどれかだ
川崎の駅ビルの中にある紀伊國屋、9階だか11階だか忘れたが、エスカレータで上っていった文庫本のコーナーで、特に何か本を探すでもなく歩いていた時だ
川崎の紀伊國屋で買ったということは、1年生の時だ、多分
チャンドラーの『高い窓』を手にとったのは
それまで、チャンドラーの名前は愛読していた大沢在昌の小説の解説や本人のあとがき、週刊誌で連載していた流行作家との対談の中で、たびたび目にしていた
が、詳しいことはよく知らない
実を言うと今でもあまり詳しいことは知らない
それはともかく、多分、自分が義務的でなく心の赴くまま小説を読もうと思って選んだ作家の3人目が、レイモンド・チャンドラーだった
4人めは多分『ブギーポップは笑わない』の上遠野浩平で、その先は忘れた

何も知らずに『高い窓』を読み始める、16歳の頭が悪い少年がいた
これがまったく読みにくいことこの上ない
目が活字を滑り、名前以外の単語や文章は頭に入らず、しまいには機械的に手でページをめくる作業が延々と続く
気が付くと読み終わった気になっていた
しかし、当時の自分の中でチャンドラーを読み解くのは使命だと信じているような節があった
仕方なく、彼の他の著作も読んでいく
いや、ひたすらページをめくっていく
翌年、横浜の今の家に引っ越した
それから何年かすると大学生になっていた
短篇集を買ったり処女長編の『大いなる眠り』を講堂に置き忘れたり、人に貸したまま紛失したり、家の中で酒で汚してしまったりで、同じ本を1週間のうちに2回買うという馬鹿なことをしたりもした
日本文学の研究ゼミにいながら、教授にはすっかり卒業論文をチャンドラーで攻めると勘違いされたりもしていた
実際に、2年生の時に無理やり参加したゼミナールの冬季合宿で「参加者は学年によらず卒業論文の下書きとして30枚のレポートを持参せよ」という教授の冗談を真に受けて、チャンドラーについて書いて伊豆長岡まで持っていった
そんなことをした馬鹿は自分一人で、その年卒業予定の3年生の先輩ですら、誰も30枚のレポートなんか書いてこなかった

生意気盛りな自分は酒の席で、たかが30枚の活字埋めるのに苦労してたら、長編の小説なんか書けるものかと息巻いて、暖房のきいた旅館の大部屋に湖風よりも冷たい空気を、窓を開ける必要もなくとりこんだ

さらにそれから10年近くが経ち、気が付くとまたチャンドラーを読んでいた
多分、また10年後に同じことを繰り返して、この日記を思い出して、その10年後にも同じことをしている気がする

『長いお別れ』で、マーロウが最後に、
――警官にさよならをいう方法はいまだに発見されていない。
と語ったように、チャンドラーにさよならをいう方法はきっと発見されることがないだろう

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