ネットの海は広大だは ― Second Life

前回前々回と引き続きSecond Lifeのお話。
前回は「習得の簡単なUIであるに越した事はないけれど…」という様なことをつらつらと述べました。
機能特化の某かであれば実現し易いけれど、Second Lifeにおいては難しいよなーと。
そして煩雑だからといってユーザーがサービスプロバイダを甘やかしてるという訳でもないよなぁ、と。

結びで書いた「ユーザーの大半はSecond Lifeのゲストではなくてキャストなんだろうな」というところ。
このゲスト/キャストを徹底して異世界構築している身近なサービスは何でしょう。

答え : 東京ディズニーランド

東京ディズニーランド及びその関連施設では、来場者は「ゲスト」、そしてスタッフは「キャスト」としてごっこ遊びをしている部分がある。
シーが出来て、よりそうした側面を強く感じる事が増えた。
アトラクションやショー以外の場面でも、世界構築の為の細々したイベントが用意されている。
例えば清掃スタッフがゴミ拾いをしているかと思いきや、そのまま清掃道具を使ったパフォーマンスが始まったり。
キャストが「ここはディズニーの世界です」と、徹底して演出してくれるのが東京ディズニーランド。
来場者はそこのゲストとして、その雰囲気を思い切り楽しめば良い。

でも勘違いしていけないのは、あくまで「ゲストである」という事。
例えコスプレ入場しても、パフォーマンスにノリ良くリアクションを取ったとしても、あくまでゲストであり、キャストではない。
強引に演出する側に回ろうとしたら当然の様にトラブルが起きる。
ディズニーランドにおいて、来場者は「ディズニーを演出する表現者」になる事は出来ない。

対して、Second Lifeの世界というのは、勿論プレイヤーはゲストではあるのだけれど、それと同時にキャストなんだよね、きっと。
前回の記事で、様々な楽しみ方をしている人について軽く触れたけれど、その “楽しみ” というのは全て某かの表現に繋がってるんだと思う。
制作をしない人、単にチャットを楽しみたいという人ですら、それはSecond Lifeという仮想世界にいる個人としての会話であり、表現なんだろうな、と。
Second Lifeは、参加者がゲストとして楽しめると同時に、この世界を演出する表現者になれる。

それは他のサービスに比べて情報が豊富だから。
文字や音声以外の情報、3Dで表現された空間もそうだし、その人の操作するキャラクター、姿形に加えて仕草のアニメーションも加わり、質量を感じる事もしばしば。
明示的な制作活動をしなくても、Second Lifeに参加する事で、その空間の一部となり、間接的ではあるけれど創造的な活動をしている事になる。
その創造性を支えるものとして、煩雑で難解である代わりに汎用性の高いUIが必要な事を何となく感じ取っているからこそ、「分かりづらいよねw」等と言いあいながらも受け入れ、使いこなしているんだろうなぁ、と思ったりする。

完璧に準備され用意された東京ディズニーランドにゲストとして訪れる楽しみ。
それとは正反対の、何もない荒野に皆で世界を作り上げ、そこの登場人物として、キャストとして参加する楽しみ。
(文字通りの意味でSecond Lifeは元来荒野だ、サービスプロバイダが提供しているのはフレームワークと空間のみ、コンテンツはほぼ全てユーザーが作成している)
世界は広く、深く、広大。
それを極力カバー出来る仕組みを求めた結果が、Second Lifeなんだろうなぁ。

The created space of witch.

だから、別にサービスプロバイダを甘やかしている訳じゃないんだと思う。
とは言いつつも、簡単で分かりやすいものに出来るのであるなら、そっちの方が良いのは確かだけどね。
そして余談だけれど、この「OSくさい」感じのUI、個人的には悪くないなと思ったりもする。
別の世界にアクセスする為のインターフェース、何とも言えないSF感。

余談だけれど、10代の頃、父に「もう何か作って遊んだりはしないの?」と聞いた事がある。
父のイメージとして、AV機器の切り替え機を自作してみたり、Basicでさんすうゲームを作って遊ばせてくれたりーという様な、某か作る人というものがあったから。
そうしたら「最近は生きる事自体が凄く創造的な事だと思う様になったからそれで満足している」みたいな返事がかえってきた。

家庭に子育て、会社における人間関係、社会における自分の居場所。
様々な場面でひとつひとつ選択し、積み上げて作り上げていくという個人個人の営みそのものが創造的であり独創的だよねという話で、なるほどなーと思ったりしたんですが。

Second Lifeも、流石「2つめの生活」を名乗るだけあって選択肢の幅が広いよなーと思ったりする。
用意されているフレームワークと空間を利用して、個々人が自由に某かを作れるサービスだから、作る側に回っても受ける側に回っても、そこで取れる選択肢の量が半端ないんだよな。
だからこそ分かりづらい面も多々あるけれど、まぁ面白いサービスだよなーと思いました。(小並感)

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